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岐阜別院

岐阜東別院永代経・納骨のご案内

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岐阜別院

岐阜別院 1601(慶長6)年、美濃国各務原加納村(各務原市那加新加納)に陣屋を構えていた旗本坪内惣兵衛玄蕃が、本願寺十二代教如上人に寺地を寄進して堂宇を建立し、領内および近在の門徒の道場としたことに始まる。1624(寛永元)年、厚見郡小熊村の門信徒の願いによって、十三代宣如上人は寺地を現在地に移し掛所とした。そのために開基を宣如上人としている。
近在の七十余カ寺とその門徒を崇敬区域として、十三日講を結んでおり、1785(天明5)年、二十代達如上人から十三日講に御消息が与えられている。

寺地が小熊にあることにより小熊御坊といったが、1872(明治5)年に東本願寺出張所、さらに1877(明治10)年に岐阜別院と改称している。後に崇敬区域に東美濃一帯と郡上郡の寺々を加えられた。
江戸時代以来の本堂は間口十二間、奥行十一間の規模で、梵鐘は1658(万治元)年の鋳造、山門は1752(宝暦2年)年の建造であった。しかし、1891(明治24年)年10月28日、濃尾地震によって本堂以下諸堂は全壊してしまった。

門信徒は力をあわせて復興に着手したが、1912(大正元)年9月の暴風雨によって仮御堂や鐘楼は再び倒壊した。しかし、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌 を新御堂にて厳修することを励みに復興に努め、1916(大正5)年、十八間四面の木造大伽藍が成って、門信徒の熱意と労苦は結実した。御本尊の遷仏の折には、参列の僧侶や門信徒の間から、感涙に咽ぶ念仏の声が満ち満ちたと伝えられている。

そして、1925(大正14)年10月には、二十三代彰如上人(句仏)を迎え、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌を厳修した。「近郷近在の善男善女の参詣引き もきらず、その数は数万人に達した盛儀であった」という。その時の句仏上人の句碑「山を出でし、真如の月を拝しけり」が境内にある。

1987(昭和62)年から1990(平成2)年にかけて、本堂屋根瓦の葺き替え工事を行い、その後2003(平成15)年4月、蓮如上人五百回御遠忌を厳修し、併せて堂内・境内の改修を行っている。

岐阜別院本堂

本堂外陣東側には太子厨子があり、聖徳太子像が安置されている。1770(明和7)年作の座像の勝鬘経講讃太子像である。1895(明治28)年に奈良法隆寺から授与されて裏山の堂に安置されていたが、1928(昭和3)年に別院境内に移された。

勝鬘経講讃太子像

境内には豊かなこころの子どもを育むことを願って設立された聖徳保育園(現在は社会福祉法人大谷聖徳会)があり、2001(平成13)年に現在地(境内 西側)に園舎を移設改築している。 また境内右手奥に岐阜地区同朋会館があるが、1968(昭和43)年に宗祖親鸞聖人七百回御遠忌の記念事業の一環として建 てられた会館が老朽化のため取り壊され、2010(平成22)年、さらなる教区教化の中心施設としての機能をはたしてもらいたいとの願いのもとに竣工し、現在に至る。

岐阜高山教区同朋会館

毎月、両度の逮夜・御命日の定例のほか、同朋会、21・22日の納骨・永代経法要がある。また、毎月20日別院本堂を会場として「生きるってどういうこと」のテーマで教区の公開講座が行われている。
(出典:東本願寺出版『別院探訪』)

 年間行事

  • 1月1日 修正会法要
  • 3月18日~21日 春季彼岸法要
  • 3月30日(2023年) 花まつり
  • 岐阜東別院花まつり
  • 4月27 ~ 28日 春の報徳会法要
  • 7月14 ~ 15日 盂蘭盆会法要
  • 8月1 ~ 2日 暁天講座
  • 8月1 ~ 2日 夏の御文法要
  • 8月13日 全納骨者お盆法要
  • 9月 秋季彼岸会法要
  • 11月27 ~ 28日 宗祖親鸞聖人御祥月法要
  • 12月8 ~ 11日 報恩講
  • 報恩講2022
  • 12月31日 除夜の鐘
  • 毎月20日 仏教公開講座
  • 2022公開講座
所在地

〒500-8054 岐阜県岐阜市大門町1番地
Tel. 058-262-1380 Fax. 058-265-0160

 

電車・バス

JR「岐阜駅」、または名鉄「名鉄岐阜駅」下車、
岐阜バス「メディアコスモス・鶯谷高校口」下車徒歩5分

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