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笠松別院

笠松別院笠松は木曽川右岸にあり、岐阜から加納を経て尾張国熱田(名古屋)に至る脇街道が通っていた。通称も御鮨街道といい、岐阜から名古屋への近道として利用度が高く、木曽川流域の最大の港としても栄えた交通の要衝であった。
江戸幕府は1662(寛文2)年、ここに陣屋を置き、美濃の天領を治めた。寛政年間(1789~1801年)頃から近郷で綿業が盛んとなり、天保年間(1830~44年)には美濃縞織の生産と流通の拠点となった。

このように、笠松は陸海交通の要地、経済の拠点、政治の中心地として栄えてきた。
そもそもこの地は、1586(天正14)年の木曽川の氾濫後に拓かれた村と伝える。それ以前は尾張国葉栗郡であったが、以後は美濃国に属した。開発には宝江村(現在の本巣郡穂積町)の者があたり、三ツ屋村(現在の大垣市)などの真宗門徒が多く移住したという。

笠松別院西本願寺では、十九代本如上人が文政年間(1818~30年)に江戸下向の際、休息する同派の寺院がなかったため、1837(天保8)年に門徒が坊舎を建て(西本願寺笠松別院の濫觴)、1846(弘化3)年に現在地に移転した。

これに対し、東本願寺では、元和年間(1615~24年)に移転して来た上本町の法伝寺が、宗主の江戸下向と上洛の際に渡船を待つ休息所と定められていた。
先のような西本願寺の動きを受け、当地の東本願寺門徒からも会所建設の動きが起こり、1831(天保2)年に着工して1839(天保10)年4月に一宇 を建立した。これが東本願寺笠松別院の始まりで、二十代達如上人の時代である。当時の門信徒は80人あまりであったと伝える。その後、東本願寺掛所と呼称 を改め、さらに1876(明治9)年から笠松別院と称している。

1891(明治24)年10月28日、濃尾大地震によって、大垣・竹鼻別院などと同様に諸堂倒壊という大被害を蒙った。
その後、門信徒は力を併せて諸 堂を建立した。間口11間に奥行9間の本堂、五間に9間3尺の庫裡、山門・接見所・御殿・太鼓楼・経蔵などを990坪の境内地に再建し、旧に も増して教化・聞法の中心として門信徒の崇敬を集めた。

しかし、1974(昭和49)年4月3日、失火によって基壇のみを残して本堂は焼失した。現在は輪番所・山門・経堂・鐘楼に往時を偲ぶのみである。本堂再建の願いを持つものの、崇敬寺院と門徒数も少なく、近年の社会状況下において再建は困難を極めている。

庫裏の北側に御殿と呼ばれる座敷がある。
これは1878(明治11)年に明治天皇の行幸があった際、柳原の木曽川沿岸に笠松輪番が発起して休憩所 を建てたゆかりの建物で、別院境内地に移転されているものである。
震災で倒壊したが廃棄を惜しんで復元されており、別院で最古の建造物である。境内左手に は、昭和初期よりの伝統を有する笠松保育園があり、輪番が園長を兼任している。

(出典:東本願寺出版物「別院探訪」)

年間行事

  • 1月1日 修正会法要
  • 3月 春季彼岸会兼永代経法要
  • 9月 秋季彼岸会兼永代経法要
  • 12月 別院報恩講
  • 大谷婦人会報恩講

笠松別院

所在地

〒501-6075 岐阜県羽島郡笠松町西宮町42番地
Tel. 058-387-2947 Fax. 058-387-0599

岐阜県羽島郡笠松町西宮町42番地

 

駐車場

笠松別院境内に、数台分ですが駐車場がございます。

入口は山門(境内南側)のみですので、大変狭くなっておりますが、お気を付けて境内へお入りください。

 

電車

JR「岐阜駅」下車、名鉄「岐阜駅」から竹鼻線で15分
「西笠松駅」下車、徒歩5分
東海道新幹線「岐阜羽島駅」下車、名鉄「新羽島駅」から
竹鼻線で20分「西笠松駅」下車、徒歩5分

 

お知らせ

2017年笠松別院年間事業のご案内はこちらをご覧ください

 

 

 

 

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