竹鼻別院
1235年(嘉禎元)、親鸞聖人が関東から上洛される途中、三河国矢作の柳堂に立ち寄り布教された。その時、尾張国葉栗郡門間庄の住人河野四郎通勝は、同郷の八人とともに帰依し、木瀬に草庵を結んで聖人を招いた。この草庵が竹鼻別院の濫觴といわれている。
この時門弟となった九人がそれぞれ開いた道場は、室町時代中期には木曽川両岸の美濃国と尾張国に分かれて点在し、河野九門徒と呼ばれて濃尾真宗門徒の中心となった。
1470(文明2)年には八代蓮如上人が当地に下向され、洪水で流出した木瀬の草庵を再興し、「河野御坊」と名づけられたという。そののち専福寺 と改称し、1576(天正4)年には正木村にあって、さらに厚見郡上川手村に移転した。この頃に専福寺は分裂し、新しく加納にできた寺も専福寺と称した。元亀・天正年間の、織田信長とのいわゆる石山合戦(1570~80)には、河野門徒も馳せ参じ、専福寺住職の忍語が討ち死にしている。
石山合戦後は教如上人に従い、本願寺の東西分派(1602-慶長七-年)に際しては東本願寺に属した。1604(慶長9)年、竹鼻下町に移転し、1607(慶長12)年には本願寺十二代となっ た教如上人によって掛所(御坊)に取り立てられ、近郷の東派五十四カ寺を附与されている。その後、二度の火災に遭い、1760(宝暦10)年、さらに現在地に寺基を移転した。本堂は1771(明和8)年に着工。39カ村の人々の懇志と労力を結集し、50年の歳月をかけて14間余の大伽藍を落成させた。山門は1833 (天保4)年250両をかけて建立され、「御坊大門」と親しまれていた。経堂は1848(弘化5)年に建立された。しかし、これらの諸堂は1892(明 治24)年の濃尾地震でことごとく倒壊した。
悲嘆する暇もなく、篤信の門信徒によって南北8間・東西18間の仮御堂が建てられ、親鸞聖人以来の法灯は護られた。現在の本堂は1915(大正4)年に着工し、1922( 大正11)年に落成し、山門は1925( 大正14)年に造られた。ともに棟梁は、明治期に東本願寺を再建した伊藤平左衛門である。1876(明治9)年に竹鼻別院と改称され、専福寺住職が輪番を勤めることとなった。これにより、専福寺は住職持ちの寺院ではなくなったので、住職(輪番)は取り消しを求めて本山に訴えを起した。その結果、専福寺は地所や本尊・御影を授与されて別に再興された。親鸞聖人旧跡の木瀬草庵は専福寺と竹鼻別院に分立し、別院へは本山から輪番が派遣されるようになり、現在に至っている。
毎月の定例法座は、13日に先門首御命日、28日は宗祖御命日が勤まる。また、1月1日の修正会、春と秋それぞれ一週間の彼岸会、7月17日から4日間の夏の御文、12月15日から4日間、報恩講が勤まる。大谷婦人会 では、3月2日追弔会、10月2日報恩講が勤まる。教化事業として、人生講座を4月から10月までに10回開講している。
併設の竹鼻保育園は1935(昭和10) 年に設立され、県下最大規模の定員をもつ。また境内の藤は県下有数のもので、開花の時期には多くの人々の目を楽しませている。
(出典:東本願寺出版『別院探訪』)
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